高校受験に合格できた最大の理由は、子ども自身が高校で何を学びたいかがはっきりしていたことです。
そして、その夢を親、学校、先生が三位一体で応援できたからです。
うちの子の場合は、夢は観光牧場で働くこと。
だから子供は、酪農を学べる高校を第一志望にしたのですが、居住地域に納得のいく高校はなかった為、北海道の酪農の専門学科のある全寮制の高校を選ぶという大チャレンジをしたのです。
高校選びは子ども本人の意思を大事にすることが大事だと思うのです。
子どもが自分の夢を叶え、自己実現するために、わたしたち家族は全力で子どもの受験勉強をサポートしました。その結果、勝ち取れたのが、高校の推薦合格でした。
高校に合格した、うちの子のお話です。
先生をつけた理由 | 高校受験が心配だった
中2の冬、我が子の低学力は深刻化していました。
某通信教育講座を受講していたものの「テストの結果」にはつながらず、でも通信講座を辞めたらさらに「ひどい成績」になりそうでやめられませんでした。
親としては「子供の成績はどうやったら上がるのか?」途方に暮れていたのです。
かなりの時間をかけて親子で一緒にテスト対策はしていたのです。
それでも、定期テストは20点以下の点数しか取れなくて。もう一刻の猶予もない思い、家庭教師の先生をつけたのでした。
中3ともなれば、実力テストの点数自体が、高校受験の合否判定材料になるのは必須です。本来ならば勉強は自分自身でするべきだとは思いながら、親として子供に家庭教師の先生をつけることを決意したのでした。
先生に依頼したこと | 成績を上げる為に
子どもの成績票を握りしめ、先生にお願いしたことは次の2点でした。
- テストに出そうな問題だけを、出来るまで教えてほしい。
- テスト前はワークの提出に追われ、解きっぱなしの問題が増える傾向がある。だから普段の勉強から学校のワークを使って反復学習してほしい。
今思えば、先生に対して無理難題のお願いだと思いますが、「本人がそのような学習スタイルで伸びるなら」と、先生は了承してくださったのです。
ダメでもともとでしたが、身を張って交渉した甲斐があったと思った瞬間でした。
もちろん本人自身も、自分の学力は切羽詰った状況だと察していたので、先生がつけ良い結果になると信じ、猛勉強を始めました。
高校で学びたいこと
我が子が高校受験に対して必死になれたのは、「高校で学びたいこと」がはっきりとあったからだと思います。
この時点で、こどもの将来の夢は「観光牧場で動物の世話をしながら働くこと」で、こどもは酪農関係を学べる高校を希望していたのです。
子供の進路について、当然親なりの願いもありました。
できれば経済的に安い進学校で、女の子なので、安全で通いやすい普通科の全日制高校を希望していたのですが、
でも本人の希望は、親の希望とは別でした。
「酪農を専門的に学べる高校」に進学することで、卒業後は「就職」することが希望だったのです。
小さい頃から動物が大好きだったとはいえ、中学卒業後に普通科を選ばない段階で、かなり将来の職業の選択肢が狭まることはいうまでもありません。
だからもし、高校生活の途中で「自分は酪農には向いていない」と子ども悟った時に、「取り返しがつかないのでは」という不安も親にはありました。家族が非農家であることも不安を増幅させました。
ですが、いま問題となっているのは子どもの将来であり、親の進路ではないのです。子供本人が行く高校であり、大切な青春時代を3年間過ごす場所を探しているのです。
何が本人にとっての幸せなのだろうか。
悩みました。夫婦でもたくさん話しました。
悩みながらも出した結論は、幸せの価値が人の数だけあるように、子どもの幸せは、最終的には子供が自分決めるということ。
高校受験や中学卒業後の中で、たとえどんな結果が出たとしても、本人の納得がいくように導いてあげることが、親の役目だと考えたのです。
高校の選択も受験結果も、その後に続く人生すらも“すべて子供の自己責任”という覚悟をしました。親子で乗り越えるべき試練を与えられたように思いました。
中学3年生の夏休み前。ついに我が子が将来の進路を決めました。第一志望の高校も選びました。
その高校とは、1600Kmも離れた北海道にある酪農の専科をもつ全寮制の私立高校でした。
15歳ながら、ひとり立ちを選んだのです。
我が子ながらその決意には驚きましたが、自立の時が受験と重なったのだと理解し、3年間家族で応援していくことを約束しました。
もし、途中で夢が変わったら…
それでも挑戦したことには意味があって、経験や身に着けた技術は、子供の人生に決してマイナスではないと伝える覚悟も親にはできていました。
本人は、私たちに夢を後押しされたこともあり、俄然やる気を出して残りの中学校生活において、勉強も頑張りました。
何が何でも合格してみせるという強い信念と目標をもって、受験勉強にも励んだのでした。
勉強の努力をするも、成績は上がらず
成績伸びずに不安が募った
とはいうものの、受験勉強はうまくは事は運びませんでした。
家庭教師の先生の下で学習を始めてから半年以上が過ぎても、我が子の成績は変わり映えせず…
親としても不安がつのるばかりだったのです。
推薦受験を希望
このペースでは受験に間に合わないと判断し、夏休みの三者面談では推薦受験の希望を学校の先生にしました。
低学力ながらも、夢に向かって頑張っている我が子を、何とか高校生にしてあげたい。そのためには、“第一志望校を2度受験できるチャンスのある推薦入試”しかないと思いました。
ご存知の通り、推薦受験で不合格でも、すでに志望理由ややる気をアピールしているので、
一般入試を受験する際には、一般受験生よりも合否が有利にはたらきやすいのが推薦入試です。しかし、子どもの第一志望の高校は、北海道の圏外からの生徒には評定を高く設定していました。
ここからがまた苦労の始まりでした。我が子の評定は推薦基準には達していなかったからです。
先生に成績アップの秘訣を尋ねた
もうこうなれば「どうしたら評定が上がるか」を単刀直入に尋ねるしかないと思いました。
教科担任の先生と、家庭教師の先生にアドバイスされたことを忠実に実行し続ける。それ以外、合格の道はないと判断したのです。
我が子は全教科の先生に質問し続けました。
「評定を上げたいので、自分は何をどうしたらいいか教えてください。」
家庭教師の先生にも、毎回質問をし続けました。
すると、先生方はその本気さを正面から受けとめてくださいました。
授業への積極性をもっとアピールすることや、自主学習したものを提出すること、どうすれば作品や歌が良くなるかなど、懇切丁寧にご指導してくださったのです。
先生方が、本気で生徒の自己実現を後押ししてくださっていることがわかり、本当に有難かったです。
知識・理解の項目がCでも、それ以外の感心・意欲や思考、技能・表現項目がAになれば、評定は上がる可能性が高いのです。
単元ごとに“どの観点項目なら上がりやすいか”担任の先生も必死に考え、アドバイスしてくださいました。
努力の成果で成績が上がる
アンダーラインを引いた教科書を毎授業後教科の先生に見せるなど、子どもも、本人なりによく粘って「やる気」をアピールしていたと思います。
1回、2回思いつきでできることを数ヶ月続けたとき、周囲はそれを「努力」と呼ぶのだと思います。
子どもの友達も、我が子の必死な姿を応援してくれたようです。
小さな努力の積み重ねは大きな結果をうむ。評定は上がりました。
定期テストは、苦手でない単元が出題された時には「良い結果」も出るようになり、1,2回とれた高得点のテスト結果が、高校との事前相談で有効にはたらきました。
第一志望校に合格
評定が推薦基準に達してからも、先生方や友達、塾、親の三位一体で作文や面接練習に明け暮れ、我が子は第一志望校に合格。
本人にとって何よりも大きな収穫は、高校受験の日々を「自信」に変えられたことのようでした。
本当に中学校の皆さんや、先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。
高校受験に関して、親は何でも経験者や専門家に相談してみること。無理・無駄と思わず相談し続けること。これこそが子供の運命を変える一歩なのだと思いました。
大人は「やればできる!」とつい子供に言いがちです。
ですが、「これだけ頑張ったからできる」と確信するまで、親も一緒に受験を乗り切る覚悟で臨むことが大切なのだと学びました。
もう一回、高校受験するとしたら?
もしも、我が子に高校進学のチャンスが再度あったとしたら、
早い段階から、子どもに将来の進路を考える機会を与えてあげたいと思います。将来やりたいこと、高校で勉強したいことが明確である方が、子どもの気合の入れようも異なるからです。
勉強も、親ばかりでなく、多くの人に学習指導してもらえるチャンスを与えてあげたいと思います。
親でなくても子は育つ時期はくるものです。学習やスポーツなどが特にそうかもしれません。本人を伸ばすことができる環境を早めにつくるのは、親にしかできない最優先事項だと思っています。
子供が高校受験に合格した理由
うちの子が高校受験で成功できた理由は、
「なぜその高校に行きたいのか」
「高校で学びたいことは何か」という明確な動機が子供にあったことです。
これは受験を乗り切り、将来を展望する原動力になるので、合格には必須だと思います。
ちなみに、うちの子は「すらら」という学習教材も使っていました。
子供の成績を上げたいときは →「すらら」の詳細を確かめてください≫