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【保存版】中学・高校不登校のお子さん⇒その後の人生・将来を立ち直らせるためには

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23才、栞
23才、栞
中学3年間そして高校時代に、不登校だった私自身の実体験に基づいてお話しします。


不登校という経験をしたことは不利に働いてしまう点がとてもとても多かったけれど、最終的には「不登校を経験して良かった」と今では思っています

では「後悔はしてないか」と言われたら、答えは「ノー」で滅茶苦茶に後悔してきました。

数え切れないほど、もう覚えていられないほどにです。

でも不登校から立ち直った今でも残る後悔はほとんどないです。

後悔のほとんどは不登校をしていた当時に痛い程感じてきたものです。

やはり中学校は全く通えなかったので、学力が小学校レベルでずっと止まってしまったことは苦しかった。

勉強の遅れを取り戻したいと思った時には、そのあまりの勉強量の差に絶望して、手を付けられなくなり、そのままズルズルと大人になってしまったことです。

これは大きな後悔の1つです。

中学・高校不登校で今思うこと

不登校▶︎後悔していること

中学校、高校と不登校だったことで学生らしい生活が全く体験できなかったことも後悔しています。

その後悔があり定時制高校に進学しましたが、やはり全日制高校のような学校生活への憧れは消えませんでした。

私は人生の中で制服を着た経験がほとんどありません。入学式ぐらいしか着ていません。

中学校の制服は中1の朝、学校に行こうとして制服を着た瞬間に突発的に吐いた経験があります。不登校の辛い思い出しかなかったので、捨ててしまいました。

ろくに制服生活を送ることなく、そのまま制服のない大学生になってしまったので、私の人生経験の中で制服着用という経験はないままです。

その当時しか出来ないことを不登校の為経験出来ないでくると、多少は後悔したりもします。

不登校でなければ部活動や全日制高校並みの文化祭や、友達の高校の文化祭に遊びに行くといった学生らしい生活を送れていたのかなと思うことがあります。

不登校▶︎人生に不利に働いてしまったこと

不登校が長期化したことで一番自分の人生に不利に働いてしまったことは「人生経験の少なさ」です。

この経験の少なさは「人間関係においての経験不足」も含まれます。

大学受験を決意して、理科の入試問題を塾の授業で習った時のことです。

授業で実験器具を用いて、その問題内容を体験したことのなかったのは私だけでした。

みんなにとっては学校で体験してきているから簡単な問題でも、私には経験がなく、その実験をイメージすることが出来ないので、試験問題を簡単には解くことが出来なくて苦しみました。

入試における理科の問題はある程度は参考書や問題集を解くことで理解していくことは可能ですが、やはり実体験には中々勝てないのもです。

例えば、微生物の大きさを正しい順番に並び替える問題でも、顕微鏡を用いて実際に観察したことない私はただ暗記で乗り切るしかないのです。

しかし、実体験として学校の授業で観察体験があると、暗記でなくてもその時のことを覚えていれば簡単に解くことが出来ます。

学校で学ぶこと、体験することはやはり入試問題を解く上でも役に立ちます。

学校に通っていれば、日々の生活を送る中でコミュニケーション能力がある程度は身についていくのだと思います。

それに、友達と喧嘩してしまってもどうやって仲直りにまで持っていくか、自分と意見が合わない人と同じグループになってしまった時、どうやって協力して課題を乗り越えていくか。

学校生活を送っていく中で、多かれ少なかれ体験するのだと思います。

そして、それらの体験がその人の社会人基礎力となっていくのだと思います。

しかし不登校を経験し、人付き合いを避けてしまうとこれらの生きていく上で必要となる力が身についていきません。

もちろん不登校でも習い事やアルバイトなどで社会との関わりをちゃんと構築してきている人であれば問題なないのです。

必ずしも学校でなければいけない訳ではありません。しかし不登校になるとどうしても引きこもりがちになってしまうものだと思います。

不登校期間の中で、様々な経験に遅れを取ってしまうと、後々やる気になった時にも足を引っ張る要素になってしまいます。

私も不登校から立ち直った当初、世間の一般常識に自分を合わせていくことに大変苦労しました。

私が戸惑っている様子は周りの人からは世間知らずと思われていたことでしょう。

たくさんの不利益を自ら作り上げてしまい、それらの消化には苦労しました。

これらは「自分の考えを改めよう」と強く決心した時に乗り越えることが出来るものだと思います。

中学・高校不登校▶︎でも、不登校でよかったと思うこと

不登校経験のおかげ▶︎当たり前の幸せに気づけた

不登校を乗り越えた今、過去を振り返って思うことは「あの時不登校になって良かったな」ということです。

人生に起こる全ての事に意味があって、それら全てが、今にちゃんと繋がっているのだと実感するのです。

やはり不登校になって一番良かったと思うことは「当たり前の幸せさ」に気づくことが出来るようになったことです。

学校(大学)に復帰した今では、「学校に通えていたら当然だったこと、当たり前に経験出来ていたこと」をたくさん皆より遅れて経験するようになりました。

この世界に溢れている当たり前と思われていることに対して非常にありがたいと思えるようになっています。

世間一般の学生が皆経験してくるようなことに対して感謝できるようになったことです。

不登校経験のおかげ▶︎勉強が大好きになった

不登校になる前と後で一番自分の中で変わったことは「勉強が大好きになったこと」です。

不登校を経験する前は、学校に行くことさえも自分の意志ではなく嫌々仕方なく通っているという感覚でした。

勉強の内容は全く分かりません。

授業は苦痛以外の何物でもなくて、学校という場所に行けば、強制的にその苦痛を伴う作業を半日行わなければならない。

心のどこかで「大人たちにやれされている」といった感覚でいました。

勉強は苦手を通り越してアレルギー反応が起こるほどに立派な勉強嫌いな学生になってしまいました。

これが不登校を経験する前の私です。

実際に中学校入ってから高校までの6年間、中学3年間は完全不登校。

高校はほとんど通わない上に全く勉強という作業をしない学校生活を、勉強に目覚める20歳になるまでの7年間ほど続けていく中で、私は完全無知状態の人間に仕上がってしまいました。

この7年に渡る不登校状態の期間の中で私は「勉強を習えるってことは全く当たり前のことではないのだ」と思うようになりました。

学校という「勉強を習える環境、新しい知識を与えてもらえる環境」がどれほどに恵まれた環境であったのかについて痛感し再認識しました。

不登校を経験したことで勉強のありがたみに気付けた。

勉強することで自分の可能性が広がるのではないかということに気づいた私は、7年間の心のエネルギー充電期間を得て再び勉強する道へ戻りました。

すなわち大学受験を決意したのです。

全くの無知な人間が勉強を始めてみるともちろん何から手をつけたらよいのか分からない状態からの出発にはなりますが、何を学んでも、授業で何を聞いても、何を知ってもとにかく感動してしまうのです。

「だからこうなるんだ」と初めて知って感動することばかりでした。

当時20歳なのに英語はbe動詞の過去形が分からない状態の私でした。

予備校で英文基本構造を習った日に、帰りの電車の中で、車内に貼られている英語の注意書きを読んで、「確かに命令文はいきなり動詞から始まっている」と習った内容と身の回りの英文の規則が一致していたことを覚えています。

無知すぎた私は身の回りの英文や漢字、数学的なロジックを全く意識することなく過ごしてきました。

そもそも電車内のステッカーに書かれているような短い英文でさえ読むことが出来なかったので、英語は宇宙語だと思っていました。

それが勉強を始めたことでちょっとずつ、身の回りのロジックが理解出来るようになり、それまでと全く変わらないはずの世界が、知識を増やしただけで非常に輝いてみえたのです。

勉強するだけでこんなに感動してしまうようになったのは「不登校を経験したから」以外の理由が見つかりません。

不登校を経験したことで皆の当たり前が当たり前ではなくなり、この世界の当たり前だと思われていること全てに感謝できるようになったからです。

「あの時不登校になったことは正解だった」と思えます。

不登校経験のおかげ▶︎夢を見つけることができた

私が不登校になったきっかけは友達からのいじめと、先生からのいじめとまではいかないけれど行き過ぎた叱責が原因です。人格否定の言葉を浴びせられました。

小学生の頃から先生という名の大人が嫌いでした。

大人は平気で自分の立場を守る為に子供をだますし、利用すると思っていました。

人なんて「信じたら裏切られる」という考え方が自分の中で出来上がってしまっていました。

これだけの学校嫌い、先生嫌いだった私がです。

大学受験の際の良い先生との出会いや、定時制高校での先生との関わりを通じて、「先生になりたい」と思うようになってしまったことも不登校当時の私からでは考えられない変化です。

たくさんの遠回りと教育現場においての苦労、苦しみを味わってきたからこそ、「学校の隅っこに追いやられている生徒に手を差し伸べられる先生になりたい」と思うようになった。

現在は塾講師のアルバイトをしています。

何が言いたいかというと「不登校をしたことにより、自分の夢を見つけることが出来た」ということです。

しかもその夢というのは「不登校を経験しなければ絶対抱かなかったであろう夢」です。

不登校をしたことで、そしてそこから立ち直ったことで、自分の可能性に気づけました。

不登校という過去の苦しみから抜け出すことが出来た私は、今では本当に「不登校をしていたから得られたのも」の多さと「変わることが出来た自分」を実感しています。

中学不登校時代に、こうしておけばよかっと思うこと

中学3年間不登校だった私です。

せめて高校受験を見据えて、学校ではなくても塾などに通って勉強してくるべきだったと思います。

また不登校でも出席日数を稼ぐ為に、適応指導教室等に通って自分なりに高校受験に向けて準備しておくべきだったと思います。

当時は完全に昼夜逆転の生活を送っており、日中は周りの視線が怖くて外に出られず、完全に家の中に引きこもってしまったことも良くなかったと思っています。

一番体力の付く時期にほぼ寝たきりの生活を送り、椅子に座っている姿勢を維持できないほどに体力を落としてしまいました。

もちろん今では、日常生活に全く支障のないレベルにまで体力は回復しましたが。学校に行かなくても、日中に何かやるべきことや、趣味を持っておけば良かったと思っています。

中1の頃、好きで始めたテニススクールに通っていたのですが、のちに不登校となってしまい、同じスクールに通っている同級生の視線が怖くなってしまった。

テニスはとても好きだったけれども辞めてしまいました。

「学校に行けない自分に趣味を楽しむ資格はない」と思ってしまっていたので、好きだったものを全て手放してしまいました。

今思えば、学校に通っていなくても好きな習い事は続けておくべきだったと思います。

そしたらまた何か変わっていたのかも知れませんし、体力低下も防げたかもしれません。もう少し気楽に捉え、色んなことにチャレンジしておけば良かったと思っています。

高校不登校時代に、こうしておけばよかったと思うこと

高校生は中学生と違い、卒業後の選択肢がより現実的になってくると思います。

進学する人もいれば、就職して社会人になる人もいます。

どちらにせよ、その先の将来を見据えて進路選択をしていかなければならなくなってくるので、この時期の不登校というのはかなり精神的な負担が大きいものだと思います。

高校に通えなくなっても、そこで自暴自棄になることなく冷静に自分の将来のことを考える時間を設けることが大事なことだと思います。

私は不登校により選べる選択肢が少なくなり、また体調が優れなかったので、色んなことに絶望感を感じていた。自分の将来、高校卒業後のことはあまり考えられないで過ごしていました。

そもそも自分に高校が卒業できるのかどうかさえも不安になっていました。

もし高校で不登校になってしまったけれども明確な目標があり、大学進学をしたい、なんとか高校を卒業したいと思うのであれば、早い段階で次の高校選びを始めるべきだと思います。

全日制高校を辞めて、高卒認定試験に切り替えるか、通信制高校定時制高校に転入するかといった高校卒業に向けての準備に早いに取り掛かるべきだと思います。

私は中学卒業後1年遅れで定時制高校に入学しましたが、その当時は自分に大学に行くほどの能力はないと感じていました。

勉強するよりも学校生活を送ってみたいという思いが強かったので定時制高校を選んだのです。

でも、最終的に大学進学を視野に入れているならば、自由時間がたくさん用意されている通信制高校を初めから選ぶべきだったなと思っています。

もし不登校になった段階で明確な目標があれば、初めから通信制高校を選んでいたかもしれません。それでも私は定時制と通信制高校のどちらも体験することが出来て良かったと思っています。

不登校になったからといってそこで終わりではなく、気持ちを切り替えて次どうするかを考えることが大切です。

中学・高校不登校の方へのアドバイス

「不登校の自分を責めないこと」

まずは学校に行けない自分をあまり責め過ぎないことが大事です。

自分自身を責めることは何の生産性もありません。

「学校に行けない」という今現在のありのままの自分を受け入れ、それ以上は原因追求をしないことです。

「なんで?なんで?」と思ってしまっても、きっとその答えは今すぐには見つからないものです。

どんなに頑張って考えても答えに辿りつけない問題というのがこの世には存在しているのです。

不登校という大きな問題はいくら頑張って考えても、自分を責めるだけできっと納得の行く答えは見つからないものだと思います。

時間が経つことでしか解決できない問題もあるのです。

今たくさん悩んだことの答えはそのうち、苦しい長いトンネルの出口に差し掛かったあたりで発見することが出来ると思います。ですから今は原因追求にこだわらないでゆっくり休んで欲しいと思います。

「無理して学校に行こうとしない」

不登校をしていると周りの人達から学校に行くよう急かされます。

無理して学校に通おうとしてしまうと返って逆効果になりうると思います。

状況に合わせて、「ちょっとだけ学校に通う気になった日」「久しぶりに学校に行ってみようと思えた日」に再登校に挑戦する分には悪くないと思いますが、

根が真面目すぎて精神的にどうしても学校に通える状況でないのに無理して学校に行こうと頑張りすぎてしまう人は要注意です。

頑張りすぎる必要はまだありません。いつか心のエネルギーが溜まった時に、ちょっとしんどくても自然と頑張れるようになります。だから焦らないことです。

中学・高校不登校▶︎その後の人生・将来を立ち直らせるために

不登校という問題はその生徒本人にとっても家族にとっても大きな悩みの種です。

でもそれは「学校に行けない」ということだけを理由として、将来に悲観的になりすぎているからではないですか?

学校に行かないからといってダメ人間になってしまう訳ではありません。

現に世界を見れば学校には通わないホームスクーリングが一般的な地域も存在しています。

今の日本社会では不登校というのはネガティブイメージで捉えられ、大きな問題としてはたくさんメディア等で取り上げられているものの、その不登校から立ち直った人の情報はほとんど配信されていないように思えます。

でも実際は不登校を経験した人は多様な仕事、世界で活躍しています。何かと問題にされがちな進学においても、難関大学に進学を果たした元不登校の人はたくさんいます。

決して不登校になったからといって人生お先真っ暗という訳ではないのです。

むしろ私は不登校という経験があっての今だと思っています。

人生において無駄な経験なんてありません。不登校という経験をポジティブに捉え、「あまり人が体験できない貴重な人生経験を今積ませてもらっているのだ」程度に受け止められたらいいなと思っています。

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